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BOSSの回想録(24)


<「最終スパンクハッピー+菊地成孔+小田朋美」①>

 私とODは、ODへの報酬としてワイン付きのディナーを重ね、周期的に菊地君が私とODが会う機会を持つこと、ODが小田朋美さんのマンションに住み、私服を借用し続けることで、成りすましのボディ・ダブル業にほとんど緊張することがなくなっていた。ただ、私は「取り急ぎ、単に菊地くんらしく」振舞えばよかったのに対し、ODは逆に、もしこれが恒常的なボディ・ダブルであるならば、小田さんにODらしく振舞わせることを強要することになり、流石にそれは無理だった為に、「あらゆる現場で、自由自在に入れ替わる」という、事まではできなかった。しかし、原理的に我々4人が、4人で4役を担っているという屈折した形態はフィクスされたし、免疫は完成しつつあった。

 デビューステージである「GREAT HOLIDAY」の日は、その試金石だった。私とODは黒スエットの上下と黒のニットキャップ、黒いサングラス、黒いマスクという、何をそこまでという黒装束でODが運転する。なんと驚くべきことに、ODはパン工場時代にパンもしくは原料を積載した大型車を、見よう見まねで乗れるようになっていた。私は職業柄、数多くの免許を取得していたが、菊地君は無免許の徒で小型の船舶と500CCまでのバイクに乗れるだけだったので、数少ないこういう機会には、念には念を入れてODに運転させた。「どっちも無免だろうに」と仰るなかれ、厳密には菊地くんが無免で、小田さんは免許取得者である。単純に、菊地君が運転している姿を誰かに見られるのはリスクが高い。  運転免許を始めとする、あらゆる偽造IDの作成は、菊地君が歌舞伎町時代に知り合った名人の仕事だ。私とODは中古のベンツで、出演者、スタッフの誰よりも早く会場であるスタジオコーストに入り、ベンツの中でつけ髭や伊達メガネ等で変装し、弁当配送業者の制服に着替えて、その辺を自然にうろつき、たまに弁当やその食べ殻を配送したりしながら、スパンクハッピー出演時に備えた。

 この日、スパンクハッピーの楽屋はコンテナ型で狭く、窓が大きく、施錠ができない代物だったので、早めに楽屋入りして気配を消しておく、というのは余りにリスキーだった。  なのでジョブは、一瞬の入れ替わりを2回行う。という形になった。最終スパンクハッピーの出演直前と直後である。

 菊地君と小田さんが、ものんくるが演奏している途中でスパンクハッピーの楽屋に入る。その瞬間を狙って我々は、弁当配送業者が楽屋に弁当の食べ殻を取りにゆく態で、ほぼ同時に楽屋入りし、菊地君と小田さんは、楽屋をアウトし、私服をパッキングして、我々が会場入りした時の黒ずくめに着替え(これは、駐車場にうろつく観客に「あ、菊地と小田がいる。スパンクスの本番なのに」と思わせない為である事は言うまでもない)、遠く国道沿いに駐車していた中古のベンツの中で待機する。私とODが当然のような顔で最終スパンクハッピーのセットアップを済ませ、輝かしいデビューステージを終え、楽屋に戻るまで菊地君と小田さんは車中で待つ。イベントの進行は厳格に動く。

 我々がデビューステージを終え、楽屋に戻り、関係各位に挨拶を済ませ、衣装をアウトし、弁当屋の制服に着替える。その瞬間に、既に車中で私服に戻り、黒ずくめは車中においてある菊地君と小田さんが楽屋に入り、我々は弁当配送業者の制服に着替え、楽屋を出て、そのまま中古ベンツに戻り、黒ずくめに着替えて会場をあとにする。

 我々4人は、湾岸にある私が所有している倉庫の中に、コンテナ型楽屋のダミーを入れ、5回のリハーサルを行った。「GREAT HOLIDAY」の舞台監督氏、菊地くんのマネージャー長沼氏を始めとする舞台進行チームが見守る中、ODも小田朋美さんも完璧な冷静さでことを進めることができた。


   *    *    *    *

 「GREAT HOLIDAY」当日。結果的に、だが、最初で最後になる「<TABOO RABEL>総出のレーベルフェス」は、熱狂的に、そしてつつがなく進行された。菊地くんは携帯メールで私と連絡し、我々の入れ替え劇よりも、遥かにオムスが心配だ。と言っていた。

 彼は、イベントの大トリを務めるDC/PRGのアンコールで「ミラーボウルズ」を演奏する際に、盟友のOMSBをfeutすることをイベント3日前に思いつき、しかもOMSBが出演可能と知るや、それを私と長沼氏以外ひとり残さず全員に対して秘匿し、つまり完全なサプライズ劇を計画し、実行した。

 多忙を極めるOMSBは、別イベントを終えてスタジオコーストに車で向かう。菊地くんは「どうしようどうしようオムスが間に合わなかったらオレのMCで繋ぐか、千住君と秋元君のドラムソロ合戦を勝ち負け賭博にして、大金を動かすしかねえ(笑)」と云ったメールを何通もよこすばかりで、スパンクハッピーについては、全く心配していないようだった。


 「ものんくるが始まった。巻き押しなし。定時で決行。ODによろしく。弁当をつまみ食いするなと伝えてくれ」というメールが来て、我々は実行に入った。

 「OD、実行だ」

 「楽勝じゃないスか!!」

 「楽屋に入ったらゆっくり話してる暇がない。どうだデビューの気分は」 

 「早くやりたいじゃないスかー!うっヒャッヒャ!!興奮してきたー!!」


 会場には、工場長氏、そして「お兄ちゃん達」の中から、幾人かの方がいらしていた。そのうち数名は、奥様とご子息を連れて。


 「黒ずくめはどうだ?(笑)」「ミッションインポッシボー!」「弁当屋の制服はどうだ?(笑)」「カッコ良いじゃないスかー!!パン工場の制服とちょっと似ているデス!!!」「そうか(笑)。行くぞ」「行くぞーじゃないスカーー!!!!」


 我々は車外に出てから沈黙をキープし、どんどん楽屋に向かった。今頃、TABOO離脱が発表されたものんくるのステージが最高潮になっている頃だろう。

 楽屋に到着すると、菊地くんと小田さんがいて、菊地くんが「あ、ご苦労様でーす」と、弁当屋に言う態で、ごくごく自然に言った。ODは声を出さずに、口の動きだけで<ミトモさーん>と言って小田さんに一瞬抱きつき、小田さんと菊地君は手を振って、すぐに楽屋から出て行った。二人が車に戻れば、黒ずくめのセットが置いてある。彼等は車中で変装して、今から小1時間の間、中古ベンツの中で息をひそめることになる。


 「よし、OD、まずはメイクとヘッドセットだ」

 「了解じゃないスかー!!」


 我々はヘッドセットとメイクに移った。ODのヘッドセットは私が、私のヘッドセットはODがやるようになっていた。後の「エイリアン・セックスフレンド」のコレオグラフにこの事が反映される。

ODのヘッドセットの途中、悪魔の声が聞こえていたことに、迂闊にも私は気がつかなかった。ODが「あ~。やっぱボスに頭を触られると落ち着くじゃないスか~、フア~」と、軽くあくびをしたのである。愚かな私は、恥ずべきことに、少々気持ちが喜んでしまい、油断をしたのだ。何ということだ。

 「そうか(笑)」と言って、他所を見て、鏡の中に視線を移した瞬間、私は、本当に心臓が止まりそうになった。 ODが一瞬で落ちてしまったのである。一度寝るとODは38分間、目覚めない。首をがっくりうなだれたままイビキをかいているODの上半身を抱きかかえながら、何度かODに軽いビンタをして、全く起きない、という事実を確認した。ODは完全に全身を脱力させ、失神した者のようになっていた。私はODをソファに横たえ、何度か深呼吸をしてから菊地くんに電話した。


 「もしもし、菊地くん、今どの辺りにいる?そうか。落ち着いて聞いてくれ。いいか?計画は変更だ。すぐに小田さんをこっちに寄越してくれ」


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