<「最終スパンクハッピー」⑤>
ODの才能の中で特に助かったのは、彼女が写真を撮られる時に、全く自意識による屈折がなかったことだ。記憶喪失症との関係は私にはわからないが、彼女は歌った歌はそれそのものとして理解するし、撮った写真も同じで、それは録音時、撮影時の段階で、全く自意識という遮蔽物が介在しない事に現れていたが、出来上がったものへの客観的な解釈にも遮蔽物はなかった。極端な唯物主義というか、幻想がない。
こうして彼女には20世紀的な言い方をすれば「動物的」な「本能的」な「野生的」な部分が多々あったが、私はこうした表現はあまりにロマンティークだと思うし、特にそれを女性に向けるのは、著しいアンチ・フェミニズムだと思うし、それ以前に、ODにこの表現は当該しないと感じていた。なんだろう、この奇妙な新しさは。
自意識とロマンティークとトラウマの塊であり、そこから創作や表現を行う、まるで19世紀人のような小田朋美さん(読者に於いては、これが彼女に対する批判ではないことはご理解できると思う。クラシックの作曲を大学教育で習得した人物を舐めてはいけない。外在化するかしないかはともかく、彼らが20世紀にすら入れないのはむしろ自然な事だ)とまさに反極に位置するODが、ほぼ同じ顔で同棲しているという事実は、何しろ菊地くんを喜ばせた。
「なあなあボス。あいつら夜とかどうしてると思う?」
「考えたくないね(笑)」
「女子トークとかすんのかな?でははははははははは!!」
「ライン見るか?」
「いや、遠慮しとく(笑)」
「(読み上げる)今日の報告デス。寝る前にミトモさんにピアノを弾いてもらったじゃないスか!リスポという、ものすげー作曲家の曲デス」
「リスポ?(笑)」
「リストだろ。(読み上げる)ミトモさんが、弾きながら、良いところで、ちょっと泣いていたじゃないスか!自分はびっくりして、大笑いしてしまったデス(笑)」
「あいつ、ホントにわっるいなあ(笑)」
「(読み上げる)そしてらミトモさんが、口をきいてくれなくなっちゃったじゃないスか~、、、、」
「そりゃそうだろ(笑)」
「(読み上げ)仕方がないから、ミトモさんが泣いたところを、自分が何回も弾いて見せたじゃないスか」
「いきなりヤバくなるな、あいつの話(笑)できんの?そんなこと(笑)」
「そしてらミトモさんがすげー喜んで」
「喜んじゃうの!(笑)、それもすげえなあ(笑)」
「パンと赤ワインをご馳走してくれたデス。なんか、半ナマみたいなハムもチーズもくっついてたじゃないスか!超卍卍卍パリピバキバキに旨かったデス!!!ボスおやすみなさいじゃないスか」
「おっとっと寝る前にワインのエチケットの写真撮って送らせてくれ」
「、、、、、、、、、、、、送った」
我々はしばらく待った。
「賭けよう。聞いたことがないブルゴーニュの赤に2万」
「セブンのヨセミテロード白に5万」
「あんなの飲むの?450円とかでしょボトルが」
「二番目にうまいって言ってた(笑)」
「優秀すぎるなあゼブン&iホールディング(笑)」
「うわー、送られてきた!!」
「なんだなんだ?」
「あー、マスカットベイリーだね~」
「甲州か~」
「ツアーの時に貰ったんだよ。田舎とか行くだろ小田さんは」
「ファック!!(ボス注*彼が地方都市や小田朋美さんをファックといったワケではありません。賭けにならなかったからです。念の為)このオレ様としたことが(笑)!!」
* * * * *
菊地くんはクラシック挫折のジャズ転向組だが、クラシック界、特に、はっきりと学閥であり、一つの壇である東京藝術大学への3年に渡る勤務経験で、その19世紀ぶりを「まるでディズニーランドのお城みたいなんだよ(笑)。ネット民みたいな、先入観やデジタルソースだけの薄っぺらい判断じゃねえ。こっちゃ収入を赤字設定したまま、3年間、潜入調査した結果で言ってんだ(笑)。芸大だけじゃねえ、国立音大も通ったんだよ2年もよ!購買部で売ってる、リサイタルドレスの写真見るか?(笑)」と、よく言っていた。
「オレは、彼らがもう自分たちでは動かしがたい、キャンプという城塞都市に風穴を空ける、安全な往復者として雇われた筈だ。だが結果は惨憺だった」
「大谷くんとのコンビじゃなかったからじゃないのか?」
「違う。マイメンは音楽アカデミズムに対する呪詛がオレの10倍は強い。1回も授業にならなかったろう」
お時間がある方は、菊地くんと小田朋美さんが、スパンクハッピーをやっているというミスリードのために書いた「共同声明」を、もう一度お読み頂きたい。
構え自体はフィクションであるが、書かれていることは全て真実である。菊地くんは、ジャズのアカデミズムが、脱トーナリティーの、モード/ブルース概念偏重にいる事、そこの村の水や空気を吸いすぎていると、逆にトーナリティーに対してグルメになる事、そして、小田朋美さんの書いたいくつかの弦楽アレンジに、驚異的な、トーナリティの本当の威厳を感じたこと、反対に「シャーマン狩り」の中の、セミクラシック的なオリジナル曲のほとんどに、キャンプを感じて、自分とは無関係だと断じたことを赤裸々に書いている。
ひょっとしたら菊地くんはODの22世紀性(誤打ではない)と、小田朋美さんの19世紀性が、マジョリティである21世紀性、つまり現在を、霧散させてしまう事に過剰な夢を見ているのかもしれない。飛行機や車の中が無音なのは、生じるノイズと逆層のノイズを当てる事で、そもそものノイズを消失させるもので、今では一般的なテクノロジーである。菊地くんの美学には諦念がある。現前が消えるはずがない。諦めることが彼の悲しみと寂しさの源泉であろう。彼の諦めは、加齢とともにグルメになっている。
「スペインの宇宙食」には記されない、二重母性に対する諦め、「粋な夜電波」に対する諦め(打ち切りのことだけではない)、そして、ODと小田さんが、ノイズキャンセラーとして21世紀というノイズを無音化できるかどうか?その夢への諦めが、私には痛いほどわかった。しかし、菊地くんの諦念は、常に被抑圧者、被搾取者、被差別者のそれと、ロマンティークに繋がり、彼のパワーの源になっている。彼がオンタイムの批評家や大衆からジャスト支持されるわけがない。彼は間違った未来主義者である。未来主義者は概ね間違っているが。
それを止めてくれ。というのが、菊地くんの私への、<天才を探す事>と並ぶ任務だった。自分でやると、絶対に、未来に向けてしまう。現在に向けて全てを組織化してほしい。
菊地くんがインスタグラムをミッションとし、私がダンスをミッションとしてのは、その、小さな一歩だと言える。この二つの企みは、最初の投稿である昨年の5月28日から併走された。
* * * * *
「OD、まだお前は契約上、顔が出せない。顔を隠してポーズ取ってくれ」
「はいじゃないスか!」
というのが、インスタグラムを3枚綴りで見たときの、下から10段目であるが、それより下に、後日の、トレーニングウエア(サウナパンツ。またしても小田さんの私物)にDC/PRGやCEROのノベルティT(言うまでもなく、小田さんの私物)を着たODとの、最初のダンスレッスンの動画が上がっている。
初日こそ、スタジオの中を皇居みたいに周回して走るだけだったODは、私のコレオグラフに従って、すぐにダンスできるようになった。というより、私は、ダンスがミッション化することを川崎のパン工場でODに出会った瞬間から想定していたので、ODの驚異的な身体能力のうち、どこが使えるか、どこが使えないか、どの程度の、どんなコレオグラフに落とし込むか、ODへの解剖学的なカウンセリングを踏まえた上で、半ば決めていた。
あとはODの実現力だった。そしてそれは、歌や写真と同じ、自意識とトラウマの複合物である、実現に対する遮蔽物を全く持たないODの属性に沿って、毎日のように実行が実行を引き出し、驚くべき短期間で、初動の完成を見た。「OD、どうだ。楽しいか?」と私が聞くと「楽しいデス!ピンクレディーや、ソウルのディスコダンスに近いデスね!!(笑)すっなっおっになあって!すっなっおっになあって!あーいっしあいたーいっのデモ!デモ!、、、アイタタタ。ここの、腕がぐるぐる回るの出来ないデス!」
「無理するな。痛めるぞ」
「炒める?ひえ~。頑張りマスですから、炒めないでください~(泣)」
「どうやって炒めるんだよ(笑)。痛くすると癖になるだろ。ちょっと、ゆっくり回してみせろ」
ODは肘から先を回転させようとして、バネ指のように、腱が引っかかって回せなかった。これは、おそらく3歳ぐらいから、最低でも20年はピアノを弾かないと発育しない靭帯変形だ。「お前、ピアノ弾いた記憶ないんだよな?」「ハイ!弾いたことないデスが、川崎のアトレの中に楽器屋さんがあって、弾いてみたら弾けたデス!!(笑)」
なるほど。まあ、今、あらゆる推測は無駄だし危険だ。「よしOD、肘の回転は、適当でいいぞ。思いっきりやるな」と言いながら、私は、ODの過去を推測したいのか、考えたくないのか、自分でもわからなくなっている事に、やや動揺していた。
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