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BOSSの回想録(5)


<「菊地成孔+BOSS THE NK」⑤>


 私は現在、BOSS THE NKと名乗っている。菊地成孔くんとは友人関係にある。と言っても信用されないだろう。すぐには。


「受任報酬がまだ入金されてないぞ」


「音を上げたか(笑)」


「一度家に帰らせてくれ。眠い」


「わかった。睡眠は大事だな。報告は、そうだな、3日はなくて良い。君の寝床が今どこだなんて聞かないよ日本じゃないかもしれないし」


「上海の時はどうだった?よく見つかったな、上海京劇のスポンサーの娘だろ?」


「いや、あれは向こうから来た。オレが早かったんじゃない。彼女と彼女の母親が早かった。2004年に日本でデビューしようとしたんだから。2004年だよ。韓流のハの字もない頃だ。今は台湾で活動してるはずだ。面白い親子だった。逃げられたけどな(笑)」


「上海の無神経な開発が止まらなかった頃だな」


「ああ、川崎の工業地帯が100個入る。黄河に、日本の70年代の、100倍の工業廃液を捨てて、200倍のスモッグを出す、どうだ、凄いだろう。と満面の笑顔で自慢された時はヤバかったね。10年後には中国のスモッグで日本人が喘息になると確信したよ」


「まあ、花粉症程度にはそうなったな」


「まあ、休んでくれ。心身をリセットすれば」


「チャンスもリセットされる」


「じゃあな」


「じゃあな」


 川崎か。と私は軽く憂鬱になり、電話を切った。川崎こそが、私の地元だからだ。姉は早くに喘息で亡くなり、親兄弟は離散し、両親の死に目には遭えなかった。胸部外科医志望だった私を請負屋に仕込んだ師匠は潮州出身の華僑だったが、川崎で表向きは鯉の養殖をやっていた。食用の鯉だ。あの巨大な養殖用の水槽は今でも悪夢に出てくる。一度だけ私は、その水槽で泳いだ。何だって経験しないと分からない。どんなものだって食わないと身にならない。



 *    *    *    *    *



 地元へ戻る懐かしさと狂おしさはどなたでもご存じのはずだ。ある程度は。私は何10ものスプリット画面で再生される、過去のおぞましい記憶を再生させっぱなしにして、東名川崎インターから降り、幼少期は重化学工業地帯だった区画に向かって歩いていた。


 この近辺が、あらゆる意味で、昭和よりもマシになったかどうか?というのは難しい質問だ。脳内の、記