<「BOSS THE NK +OD +菊地成孔+小田朋美」①> フジロックが有するクラブスペース「GAN-BAN」は、アーティスト(ここではDJ)のブックが、フェス全体から独立している。GAN-BAN側が最初にオファーをかけたのは、DJとしての菊地くんにだった。
菊地くんは、自分が何系のプレイをすれば良いかブッカーに聞き、それがヒップホップでもジャズでもなく、ニューウエイヴ~ノーウエイヴ~テクノポップ~エレクトロクラッシュといった流れだと分かるや、第一には大笑いして喜び、そして第二には、スパンクハッピーの活動再開の話を持ちかけ、DJブースでのライブタイムを取り付けた。こうしてあっけなく、我々のフジロック進出が決定した。
この場を借りて、大沢伸一氏、並びに満島ひかり氏に感謝したい。菊地くんは当初「くっそー。オファーがあったけど、オレのDJかよ!!まあスパンクス再開のことなんか関係者誰も知らねえだろうからなあ。2人で聴きに来る?オレのDJ(笑)」等と言っていたし、同時に大沢、満島両氏のコラボ曲「ラビリンス」に関して、「やっぱモンドグロッソやばいでしょ。満島ひかりだよ。ダンスがウマウマ、歌ヘタウマ。もう完璧だよな大沢っちゅう人のポップ感覚」と激賛して、大好きな香港ロケのMVをなんども観ていた。
しかし、お二方が「ラビリンス」を、フジロック2017のGAN-BAN に於いてリップシンクでパフォーマンスする、という既成事実がなかったら、菊地くんは我々と山ほどのリップ・リグ&パニックの12インチを連れて山を登っただけだった、と断言できる。
菊地くんがある日「ボス。これ見ろ」と言って送ってきた動画は、まだYouTubeに上がっている。「これ、ここでスパンクハッピーやれって言ってるような動画でしょ?(笑)違うか?(笑)」
最終スパンクハッピーの出演が決まってからの小さな騒ぎについては、菊地くんは感知しなかったし、我々2人も、練習とインスタグラム(「フジロックまであと○日」というシリーズで煽ろう。という指示は菊地くんからのものだ。因みに「ボクシングをやって、スロー再生するじゃないスか」といったのはODである)に勤しむばかりで、気に留めなかった。
今や検索の天才となっていたODも「みなさん、ミトモさんが出ると思ってるデスね!うっヒャッヒャ!!」とローラースケートを履いてベッドに横になりながら笑っていた。
「OD、今更だけどな、お前がどれだけやって見せても、小田さんがやってると思われる。それは良いのか?」
「ミトモさんなら良いじゃないスか(笑)、それより、自分が失態を見せてミトモさんの名に傷がついたらダメダメです!!」
「1年やったら、お前の事しか知らない人や、お前と小田さんが別人だと思い込む人も出てくるだろう」
「思い込むって、実際、別人じゃないスか~(笑)」
「だな(笑)」。
菊地くんは「もういるよ。そういう人はいっぱい(笑)」と、我々のインスタグラムを見ながら楽しそうに言った。 小田さんはceroのサポートメンバーとして苗場に前入りしていた。我々は、あたかも<小田さんが当日入りし、ceroをやってから急いでGAN-BANに移動した>という態で、早朝から出発し、午後イチに苗場プリンスにチェックインを済ませた。
菊地くんの選曲は完璧で、我々もリハーサルは十全に済ませていた。パフォーミングに問題はない。問題はただ一つ。我々はスタジオコーストの教訓を生かし、ODが会場入りの30分前までに目覚めるように逆算して、敢えて眠らせることにした。しかし、ODは行きの車中で眠り、途中メロンパンを大量に買って食べてからまた眠り、チェックインしてからまた眠った。私とODは隣室だったが、私はODがいつ眠るか、ODの部屋で菊地くんと一緒に監視しなければいけなかった。
入りは午後イチ、出演はフェスの最後である午前0時だ。ODはその間にも4回寝て、起きた。ODが起きている間、我々は冗談を言い続けた。
「ボブ・ディランのパフォーマンスに、ホフディランは呼ばれると思うか?」
「最前列でしょ」
「最敬礼でしょ」
「土下座でしょ(笑)」
「GAN-BANって岩盤の事でしょ?岩盤浴の」
「いや、頑張るっていう意味かも知れない。<頑張んぞ!!>みたいなさ。GAN-BAN-ZO!とか言って」
「そんなGAN-BAN嫌だよ(笑)」
「うああ!ODが寝そう!!」
「OD、今まだ寝るな!!あと30分で寝れる!!」
「うわかったじゃないスかふわあああ」
「OD!!工場長さんからメールだ!!ほら読め!!」
「工場長~」