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BOSSの回想録(29)


 <「BOSS THE NK+OD+菊地成孔」④>



 私とODの生活にプレートが訪れた。新曲を作り、リハをやり、ワインを飲み、パンを食い、衣装を買いにゆき、インタビューを受け、それらをみんなインスタグラムにあげながら(それは全て、菊地くんの事務所、小田さんの自宅スタジオ、レンタルスタジオ、外のカフェ等々、我々があくまで、菊地くんと小田さんであることをネガティヴアピールしていた。なので、足がつきやすいこの倉庫跡で、我々は静止画一枚も撮影していない)、週末ODは川崎の工場に帰る。月に一度、菊地くんと工場長を伴ったディナーに出かける。私はこのジョブに満足していた。秘匿された音楽家の暮らしである。


 私は変わらぬ悪夢に苦しんだり、過去の仕事の名残で、極端な緊張状態のフラッシュバックに陥ることはあったが、基本的には、平和で文化的な生活を謳歌していた(こう書くと、これをノヴェルだと思って読んでいる方が「いつかこの平和にも崩壊が」と云うフラグだと勘違いするといけないので念のため、この暮らしは、全く何の問題もなく続き、やがて全く何の問題も無く解消された)。


 ODは菊地くんの言う通り、ローラースケートをスリッパがわりにして、この部屋の中を高速で移動していた。基本的にスケーターは体幹が鍛わっていないと出来ないし、スケートは体幹を鍛える。


 ODは一足のローラースケート以外、一切のトレーニング機材を使わずにーーつまりゴッチ式だがーーローラースケートでパンやワインを運んだり、ピアニシモからフォルテシモまで、全ての音量で様々な歌を歌い、今度はそれをローラースケートに乗って旋回しながら歌ったり、曲ができるとそれに合わせて何時間も踊りまくることでボディメイクをしていた。パンばかりの食事は糖質過多だが、不思議とODは皮下脂肪を溜め込まず、筋繊維も落とさずに体型を維持していた。パンとワインと水と果物、チーズとナッツ類を主食に生きている不思議な生物。ディナーで肉や魚を食べると、ODはハイになり、歌いながら何時間もランニングしたりした。


 そうした繰り返しの中、既に4本の夏フェス出演が決まっていた我々は、実質のデビューライブであるフジロック2018のステージを目指して、リハとインスタグラムの日々を送った。菊地くんが課したミッションである「プロダクツ1曲、しかも配信だけで、フジロック前までにフォロワーを5000人にすること」は達成した。


 これは、ODの何も衒わない性格や、菊地くんが思いつきで考え出すコントじみた動画用コンテンツの水準もあるが、やはり最大の理由は、菊地くんの属性である「メディアを過分に使う」ところに拠る所は大きい、彼は黎明期以前のブログフォームでも、最初期のツイッターでも、AMラジオ番組でも、ブログマガジンでも、メディアを与えられると圧殺的に情報を詰め込んで、しかも軽い味わいに仕立ててしまう。そもそも彼の音楽がそうできているし、彼自体の心身がそうできている。ということも可能だ。


 あのODが菊地くんに「菊地さん、インスタグラムというのは、こんなに頻繁に更新するもんじゃないデス(笑)」と意見したほどだ。菊地くんはゲラゲラ笑いながら「平均がわかんねえんだよOD(笑)。引かれるほど多かったら言ってくれ。フォロワーが増えりゃいいんだ(笑)」と、悪い意味で、というぐらい、メディアに対して軸がブレなかった。「粋な夜電波」の1本分は、構成作家が書いて、パースナリティーとアシスタントがいる平均的なAMラジオ番組10本分もしくは50本分が詰め込まれていながらにして、調子よく気分良く聞ける番組だった。ということが可能だろう。



  *   *   *   *   *



 「最も圧縮と軽量化がうまく行った例だね」と菊地くんは振り返る。


 「オレの書くもの情報量を、まだ衒学的だとか言ってるバカがいるが、そんなもんはヒエロニムス・ボッスが、細かい絵をいっぱい描き込めると自慢しているんだ、と言ってるのと同じだ。ただ、責任はオレにある。バカにも気づかせないように軽量化をうまくやらないといけない。意図的に、図式的に、つまりある意味でやってないのと同じことだけど、軽量化を実行したのが「花と水」で、あれは、多くのバカから<これがあいつの本当のやりたいことだ>とか<他は嫌いだけどこれは好き>とか言われた(笑)。日本人は胃弱だ。あれがいっぱいいるんでしょ。ピロリ菌(笑)」



 「構造と力。も、4小節内の打点数を算出したら、ちょっと引いたよ(笑)」


 「でも、君のおかげで軽量化が成功した。全曲ポップだ。感謝してるよ」


 「まあ、こっちも楽しんだ、、、、今もね(笑)」



 問題は、ODの仮眠症と夢遊病だった。車の運転中に気を失ったことが2度あってからは、運転もさせないようにした。規則的な生活を送るために、私はかなり逡巡した末に睡眠導入剤まで使った。しかし、ODは定時に寝て、まとめて寝て、定時に目覚める、という事がなかった。


 というより、ODの時間感覚における「区切り」の単位概念は「1曲」だけだった。歌い始めから歌い終わりが、ODにとっての「区切り」の中枢で、後のことは全てそれを取り巻いていた。「昼と夜」でさえ。


 ただ、J-POPから長いカンタータ、場合によってはオペラを一幕丸々歌い続けることもあったので、「1曲」の長さはかなりの幅があったが、それでも「1時間」という単位や「1日」という単位はなかった。ずっと工場の中にいて、日照と日没の感覚も薄かったろうし、嬰児のように、大人たちに見守られて、好きな時間に寝て、好きな時間に起きては歌を歌っていたので、当然とも言える。


 夢遊病は、夜尿のような退行的な症状はなかったが、起ききれない、眠りきれない、という半覚醒の状態が深く長く、言語の状態は同一性を失い、パワフルな行動こそなかったが、私はODがベッドに入るときにはローラースケートを脱がせて、私に渡すように言って聞かせた。なので、菊地くんが冗談で言っていたが「ステージ中に寝る」ということはありえないと想定できた。ODにとって「1曲」の連続体であるライブは開始と継続と区切りの反復であって、あるとしたらMCの時間に立ったまま眠ることだが、少なくとも、フジロック用のリハーサルでは、それはなかった。次にまた歌が始まることをあらかじめ知っていたからだろう。


 ただ、これは後日譚だが、「鬱フェス」の時は、ライブ終わりですぐに夢遊病の状態に入った。インスタグラム用の「ライブ直後の動画」を撮影するまでしっかりしていたODだが、控え室は狭く、衣装はLOOK2つまり、水着の上に長襦袢を羽織っている、というものだったので、私は控え室の扉の前で「外で待ってるから先に着替えとけ」と言った。アーバンギャルドの諸君をはじめとした面会者が多かったので、面会用=SNS用に別の衣装を用意してきたのである。


 しかしODの返事は「。。。。明日からー。。。。すたしまないー、スかー」というもので、私は軽く焦せり、控え室の内鍵をかけた。


 大槻ケンジ氏、アーバンギャルドのお2人、他にも我々に面会を求めるアーティストが何組もいると知らされていたので、とりあえずの善後策として、ODが目はつぶっていないことを確認し、衣装はそのままで、記念写真を一通り撮ることにした。長襦袢と水着を脱がせ、ニプレスを剥がして、下着から別の衣装に着替えさせる、ということは流石にできない。私は長襦袢の前身頃(まえみごろ)がはだけないよう、安全ピンを3つ使ってしっかり留め、来客には一人で対応して、ODが声を出そうとしたら、笑いながら口を塞いだ。アメリカのコメディ映画のようだ。


 時間のある方は確認してみてほしい、あの日、SNSに上がったバックヤードの写真に写り込んでいるOD表情を。目の焦点があっていないことが確認できるはずだ。あれは立ったまま寝ている状態で、、、とここまで書いたところで、ODが銀盆に乗ったボルドーグラスとクロワッサンダマンドを持ったままローラースケートで滑ってきて、私の前で綺麗に止まった。



 「ボスボスー。お夜食じゃないスか」


 「おお。すまんな。お前はいいのか?」


 「さっき食べたじゃないスか(笑)。それよりボス、毎日何を書いてるデスか?」


 「お前とオレの事だ」


 「そうスか。菊地さんに報告するデスね」


 「いや違う。パンの皆さんが読むんだ」


 「ひえー」


 「どうした?お前でも恥ずかしいか?(笑)」


 「いえ、興奮してきましたデス!!」


 「あの、、、今日は歌わくていいぞ(笑)もう寝ろ」


 「いやもう、歌わないと収まらないデス!!(笑)」


 「何を歌うの?」


 「安木節!!」


 「ちょ。ワインとクロワッサンだぞお前(笑)」


 「いくデス!!やす~うううき~」