<「BOSS THE NK+OD+菊地成孔」③>
「GREAT HOLIDAY」当日から私とODはこの倉庫跡で暮らし始める事になった。最初の夜はODはベッドに、私は足元のスプリングの露出を気にかけないと危ない古いソファで寝たが、翌日早朝には菊地くんが14人のリフォーム会社の人間と一緒にアスベスト工事の職人のような格好で現れ、物凄い勢い、としか言いようがない速度でどんどんリフォーム工事を着工したので、襲撃を食らったと思い、反射的に、寝ているODを抱えて反撃体制になったのだが、聞こえてきたのは防塵マスクと防塵グラスを外した菊地くんの朝の挨拶だった。
「おはようございます!おはようございますファイナルスパンクハッピーのご両人!昨日はデビューおめでとう!と言いたいところだが、お前らはしくじった!ペナルティに叩きこしてやったぞ!デーモン閣下のモノマネでうははははははははははははは!起きろOD!元気になったか?」
菊地くんがODの頭を撫でてもODはまだ目覚めない。
「おー、これどうにかしないとねえ過眠症。治せるか?」
「まあ、治せるさ。それより、良いか?抜き打ちでここに来るな。抜くところだっただろ」
「怖っ!(笑)抜くの?!オレに?(笑)」
「、、、、ODを置いてくる」
「ボスくん<レオン>の見過ぎでしょう(笑)。ODは少女じゃねえぞ(笑)」
「そっちこそ<ディーヴァ>の見過ぎだろう(笑)」
「でも<ベティブルー>なんか見ない!(笑)」
「オレも見ない(笑)」
「あの時期のフランスにはかっぱがれたな(笑)」
「まあ、逃げ時は良かったろ。あと<サブウェイ>だけ見といて」
「<ポンヌフの恋人>まで引っ張られた奴らはご苦労さんだよ。けけけけけけけけけ。あ、では○○施工の皆さーん、よろしくお願いします!!ボスくん、早速賭けだ。○○施工の皆さんに邪魔にならないように、、、、、えーっと、、、、あっちだ。あそこまでソファ動かそう」
ODを傍に横たえ、我々は悪い癖を始めた。
「まずはODが何分後に目覚めるかだ。1時間以内か以上か。以上に3万」
「じゃあ以内に3万」
「皆さん!おはようございます!!今日も元気に働くじゃないスか!!」
「くっそう!(笑)」
「ODよくやった(笑)」
「お目覚めからボス褒められたじゃないスか!!(笑)あっ!菊地さん!!昨日はゴメンなさいじゃないスか!!次から頑張りマス!!」
「昨日はもういい。今がゴメンなさいだ!!」
「え?え?、、、自分またなんかしでかしたデスか?、、、、」
「いや大丈夫だ(笑)。ODまだ歌うなよ。工事が始まった。パンあるだろ?食ってろ」
「了解じゃないスか!!」
「じゃあ次だ。ウチラのレーベルはSONYに切られると思うか?思うに100万」
「それはそうだろう、ものんくるに逃げられたら(笑)」
「でしょ?(笑)半年以内に5万」「レーベルプロデューサーがそんなでいいのか(笑)」
「良いんだよ予想だもん(笑)」
「じゃあ我々はどっからリリースするんだ(笑)」
「そこが問題だよ(笑)」
「まあ良い、ここは希望も含めでせめて3年後にしよう。3万」
結果は読者の皆さんがご存知の通りだ。この後も我々は、夕方まで総額500万ほど賭けた。最後の方は、施工会社の社員が、ダクトを一発で繋げるかどうか、果ては、あの社員が右に曲がるか左に曲がるかまで賭けた。
そして、施行中には、あらゆる搬送会社がやってきて、sertaのニューヨーク550のセミダブルと、製造年月日もわからない、20世紀初頭だと思われる、アール・デコな鉄柵とボロボロのソファだけでできているようなチャイルド・ベッドのラスティックペイントが施されているもの(「ODは子供じゃないって言ったばっかりじゃないか」「いや十分入収まるって」「そりゃそうだが、あれ、貴族の赤ちゃん用だろ?(笑)」「あいつベッドから落ちそうだろ。柵が必要だと思わない?」「思う(笑)」)、巨大なGMのアメリカンアンティーク冷蔵庫<FRIGIDAIRE>を何と2台。ドンペリニョンのNVを3ケース、業務用のワインセラーハイアールのJQF360Aを1台、フィレンツェから取り寄せた2メートル四方の鏡これは14世紀製、6メートルはある、業務用のハンガー、フィットネスジムの設備一式(菊地くん曰く「エニイタイムフィット」さんから「お借りした」・笑)。
そして、見るなり私が無碍に突っ返したのはTOTOの最高級ジェットバス、MMシリーズの最も巨大なやつだ。床に埋め込むスタイルになっている。
「あのな菊地くん、ここをラブホテルにしないでく」
「ODもお前も疲れるだろ。疲れとるのに最高なんだよ(笑)。TOTOさんの先端技術の結晶だぞ~(笑)」
「良いよ普通のユニットバスがあれば。あれは返せ」
「もう施工頼んじゃったもん~(笑)」
「とにかくあれはダメだ」
「な~んでだ?(笑)何が気にくわない?(笑)
「言って良いか?」
「ああ」
「お前あれにOD潜らせに来るだろ。水着着せて。お前泳げるか?とか言って」
「バーカお前バーカお前!!(笑)やっるっわっけねえじゃん!!(笑)4人4役やりすぎてとうとうヤキが回ったか?(笑)オレはODを花もて折らねえよ絶対!ってか、ODが嫌がるだろうよ(笑)」
「いや、嫌がらないよ」
「ええ本当?(嬉)」
「まあ、どうせタコの真似とか、面白いやつだろうけど、君、それでも勃つだろ」
「勃つ!!」
「やめろ本当に(笑)」
「わかった止めるよー、神に誓うよー、ヒンドゥーの神に(笑)」
「ヒンドゥーの神は推奨しそうだな(笑)」
「まあな(笑)」
「わかった。とにかく、居住空間にあれを埋め込むのはやめてくれ。ちゃんとバスルームを区切って貰いたい」
「わかったよ~(笑)」
かくして日本の技術の先端は、東京湾が見える絶好の敷地ではなく、不格好にもギッチギチに狭いバスルームに格納された。
「他に足りないもんがあったら、受任報酬から買ってくれ。こっちからはこれだけだ。エアコンは施工に含まれる。駐車場は出て左に契約してある。快適だろ。なあ?たまにオレと入れ替わらないか?(笑)」
「可愛げがあるから許されるだけの冗談だ」
「週イチで来て良い?(笑)」
「ダメだ。我々だって、常に変装して、君と小田さんだという噂がたたないようにしないといけないだろ」
「月イチ」
「まあ、、、、良いだろ」
「リハーサルは必ず都内のNOAHでやれよ。ここではボディメイクだけだ」
「わかった。ODにヨガと気功を教える。リハはNOAHな」
「ああ」
「あと、、、、」
「なんだ?」
「ODに教育は要るか?、、、、そのう、、、、、外国語とか、、、、礼儀作法とか、、、、、ポップ・ミュージック史とか、、、」
「いや、一切いらない。ダンスのアイソレーションだけやらしとけ」
「わかった。あと、小田さんが髪を切るときは必ず連絡くれ。君もな」
「OK」
「あとな、、、、」
「ああ、どうした?」
「これで最後だ、、、、、もし」
「うん」
「ODの身元が割れて、家族が出てきたら、どうする?」
「いや、出てこない」
「なんで決めつける」
「いや、オレだって考えたよ。ODに存命中の血族がいて、もしODを何年も必死で探している。というセッティングがある、と仮定する」
「うん、、、、あ、そうか」
「そうなんだ。」
「彼らは簡単に小田さんに行き着く」
「小田さんはなんと?」
「一回もないって。キチガイのファンに、あなた菊地成孔の隠し子でしょ。って言われた事があるけど。とか言ってた(笑)」
「まあ(苦笑)。それは(笑)」
「関係妄想の患者が付かない音楽家は出来損ないだ」
「そうだな」
「だから」
「そう、ODの家族が出てくるならまだ良い。問題は、奴が厄介だった場合だ」
「だな」
「わかんねえからなあ。全然」
「予想もつかないよ」
「その時は、、、、まあ、、、、頼むぞ、、、、」
「ああ。勿論」
「奴を致命的には傷ずけるな、、、、身体も、、、自我も」
「可能な限りそうする」
菊地くんはシリアスな顔をするのが疲れたのだろう。おもむろに立ち上がって、5メートルほど先で施工職人にパンを配っているODに大きな声をかけた。
「OD!!これを受け取れ!!」
「了解じゃないスか~!」
「行くぞ!行くぞ!ほらっ!!」
何かが、大きく弧を描いて、ODは両手と胸でキャッチした。
「開けてみろ(笑)」
「うっわ!うっわ!!やったー!!やったー!!菊地さんありがとうございマスじゃないスかー!!やったじゃないスかー!!ひゃー!」
予想に反し、それはヴィンテージではなく、最新型だった。ローラーダービー社のローラースター600/RDU725Sは革張りのスニーカーにホイールが付いているだけのシンプルなものだったが、あらゆるホスピタリティに高いモデルである。
「OD、外では絶対履くなよ(笑)。電柱に激突したりしたら昔のマンガだ(笑)。良いか?それがここでの暮らしの、お前のスリッパになる。帰ってきたらまずそれを履いて、寝るまで履いてろ。」
「了解じゃないスか!」
「いや、風呂上がりはダメだ!」
「良い!(笑)マッパで滑りまくれ(笑)髪がよく乾くぞ(笑)」
「ダメだ!(笑)」
「良い!(笑)」
「どっちスか!!!」
「風呂上がりでも、パジャマさえ着てれば良い(笑)、それより履けたか?」
「まだデス、、、、紐が難しい、、、、」
「履けたか?」
「、、、、、、履けたじゃないスか!!(笑)」
「おーおーおー、かっこいいなーかっこいなー。お前の運動神経ならもう滑れるだろ。ほら(パンパン手を鳴らして)。ここまで来い」
ODはやにわにクロワッサンを一個口に突っ込み、小田さんに貰ったユニクロのパジャマのまま、腰を一瞬かがめて体重を乗せてから左足をキックバックして走り出すと、「うっヒャッヒャ!」と言いながら、5メートルを6秒かけて、綺麗に私と菊地くんの間に割り込み、回転をかけて、つま先のストッパーで止まり、力道山のアー写のように両拳を腰に当てる英雄の様なポーズをとった。
菊地くんはいきなり「あいけねえ!あっちの壁ボルダリングにしないと!」と言った。感無量であることを隠すためか、実際にODが工場で昇降運動によって体型をメイキングしていた事を思い出したかは、私にはわからなかった。ODは力道のポーズのまま、ムシャムシャと口の中のクロワッサンを噛んでいた。そして、やはり菊地くんは、感無量を隠していたのだ。彼は遠くを見て
「OD、それを飲み込んだら、なんか歌ってくれ」と言った。
「モグモグ、、、なんに、、、モグモグ、、、、するスか?」
「カタラーニの<ラ・ワリー>から<遠くふるさとの家よ>だ」
かのトスカニーニが、あまりの美しさから自分の娘の名前にした、隠れた名匠カタラーニの代表作「ラ・ワリー」は、第一幕のアリアが、映画「ディーヴァ」に使用され、物語に深く関わっている。カタラーニは、トスカニーニが指揮棒を振ったこのオペラの初演の翌年に、39歳で夭逝する。これは失恋から雪崩に身を投げる女性の歌だ。
映画ではウィルメニア・ウィンギンズ・フェルナンデス演じる、明らかにジェシー・ノーマンをモデルにした黒人ソプラノ歌手、シンシア・ホーキンスが歌う。<黒人が純白の雪崩に身を投げる美しい悲劇>という評は、公開当時も今もなされていない。ユニクロのパジャマとローラースケートを履いたままODが丸覚えのイタリア語で伸び伸びと歌い出した。異様に深い残響音とともに。
それでは 遠くに行ってしまわなければなりません
まるで 行け 行け と鐘が怒鳴っているようですわ
白い雪の彼方 雪の彼方へと
希望もなしに 悲しみと悩みに包まれて
ああ お母様 楽しい我が家
私はそこから出て
本当の遠くに行かなければなりません
それが私の運命のようです
もう決して 帰ることも 振り返ることもできないわ もう決して
そこからは出てゆかなければなりません
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