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BOSSの回想録(20)


< 「最終スパンクハッピー」④>



 アー写の撮影が終わり、「夏の天才」のレコーディングが終わり、定例の食事会も終えると、次に私とODはライブ用のリハーサルに入った。


 最初のステージは菊地くんのレーベル・フェスで、ショーケースとして、スタジオコーストのサブステージで20分だけだったが、既にその段階でフジロックでの30分のステージも決定していた。菊地くんのDJに、我々が継いで入る。菊地くんと私はバックヤードで入れ替わる。そうしたアクロバットに全く不安がないほど、我々は鏡面の日々を過ごし続けていた。食事会に小田さんが来る事は滅多になかったが、彼女の激務を考えれば仕方がないが、やがてODと小田さんのキャラクターが順調に分離 / 定着して行くのに対して、私と菊地君のキャラ分離と定着が遅れたのは、こうして、初動の段階で、私と菊地君が2人でODを育てていった事が無関係ではなかったと今では思っている。


 最初、「新生」とか「第3期」とか、単に「スパンクハッピー」呼ばれていた我々は、「最終スパンクハッピー」と自らの名を定めた。理由は書くまでもないだろう。


 しかし、菊地くんのプロデュースと私の実行力により、「最終スパンクハッピー」は、スパンクハッピーの最終形態をいきなり開陳することを避け、少なくとも初動から1st ALBUMまでは二期のフォームの擬態を採り入れる事にした。第一には(この言い方は彼のクリシェだが)またしても菊地くんのグルーヴが「早すぎた音楽」を作らないためだ。そして何よりも、そのことが最も困難だった。菊地くんの速度と射程距離の長さは常人とは違う。これは如何なる意味に於いても優位を意味しない。菊地くんの呪われた部分である事は間違いない。


 男女デュエット、ステージには2人だけ、カラオケでバンドはおらず、セルフカヴァーは二期の曲しかやらない。基本はドレスアップ。イマジネーションと物を見聞きする力さえ放棄すれば、第二期そのものにしか見えないだろう。


 こうした「二期との類似」は、第二にはファイナル・スパンクスの意義を逆に引き立てる、格好の比較フォームとなった。誰にでも明らかな差異は、菊地くんの加齢、ODの声とルックス、ぐらいだろう。完全ペアルックという新しいアイデア(これは、ODの身長が菊地くんと大差ないこと、ショートカットでスレンダーなODのニュー・ボーイッシュの魅力を引き出すという意味があったが)も取り敢えずデビュー時には、アー写で予告するに留める事にした。


 最後の判断は「口パク」を採用するかどうかだった。ODは驚異的な歌唱力を持っていたし、私の歌唱力は菊地くんのそれと50歩100歩だったが、私と菊地くん双方の判断で、「口パク」までをも、二期を継承することにした。ODに冷たいマネキンなど似合うはずはない。なのに何故か?


 ダンスを採り入れるためだ。


 民は記憶を改竄する。見たことも聞いたことも読んだことも、そのまま想起し、デジタルリージョンで再生できる人間はいない。欲情し、感動すればするほど、改竄は大きく行われる。なので、二期スパンクスが、あたかもダンスをしていたかのように記憶しているマニアも多いだろう、しかし実際に岩澤瞳さんは、ボックスを踏むだけで目を回して倒れてしまうような極端なダンス音痴だったそうで、手の簡単な振りがついているだけだった。菊地くんはここで一度、「ダークでドルチェなテクノそしてドレスアップしたヘタウマの、フル・コレオグラフィックなカップルダンス」というプランを、半分は放棄している。


 それでも、同じ「アンニュイエレクトリーク」、同じ「フェーム」、同じ「フィジカル」での2人のコレオグラフは、二期と大差がないと感じているカスタマーは多いだろう。実際は全く違う。こうした不全や誤解や錯覚、といったものは菊地くんの大好物だった。「人に誤解されたくない」という純情を持たない彼の、これも呪われた部分だろう。

 菊地くんは中学生からディスコ~クラブ通いをしていて、そのまま未だに各国のクラブに行ったりするフロアベースの人間だが、如何せん、踊りながら歌うことができなかった。ヴォーカリストとしては、吉田沙良氏やOMSB、JUMAやFUYU氏等をftしたソロライブや、ぺぺトルメントアスカラールで稼働していたが、いずれにせよ業界用語でいうところの「素立ち」で歌っていたし、ODのダンス力は完全に未知数だった。


 口パク前提で、果たしてODがどれぐらい踊れるのか、私も菊地くんも大いに興味があった、なので、ODには「ダンスウエアを持ってこい」とだけ伝え、事前の問診は行わず、いきなりスタジオに入ってカウンセリングする事にした。しかし、初練習の前夜に電話がかかってきた。


 「ボスボスー、ODじゃないスか」