<「最終スパンクハッピー」③>
「OD、どっちにする?すまんが、工場のパンをお前、昨日食い終わっただろ?だからセブンの食パンになるけど、ダブルソフトと超熟とどっちがいい?」
「超熟デス」
「わかっった。両手で持つのか?」
「本当に一番良いのは、頭の上に乗せるじゃないスか!でも、ヘッドホンしてるから無理じゃないスか。なんで、手で持つデス」
「小田さーん、イヤホンに変えますか?」
「自分はODじゃないスか!!似てるからしょうがないけど~。ミトモさ、、、、小田さんは自分より大人っぽくてセクシーセクシーセクシーじゃないスか~(笑)」
「アカクくんごめん(笑)。小田さん入り込んでるから、付き合ってくれ(笑)」
「了解です。OD、イヤホンあるよ、、、、、そのう、、、、どうしてもパンを頭の上に?、、、、、乗せたかったら、、、、、そっちの方がさ」
「うっヒャッヒャ!!それでは、そっちでお願いするじゃないスか!!」
サルバドール・ダリのモチーフで、頭にバケットを乗せ、ネッカチーフで巻いている女がいるが、ヘッドフォンからイヤホンに変えて、頭に食パンを乗せ、紐で顎に結わいているODは、アイコニックに言ってもシュール(レアリスム)と、アスリート性を融合した、奇跡の姿で、我々は笑いを堪えるのに必死だった。
ほとんどの歌手は、テイク1はテストテイクだ。厳密にはテイク1の前に、喉慣らしにテストテイクを歌うのだが、ODに保健や助走の時間は要らなかった。全ての曲をテイク1でOKを出した。
「君は 僕のー夏のー天才っ!!、、、、、、、、、はーいOK、これで全部終わったデス。そっち(ミキシングルーム)に行くじゃないスか~」
こちらにOKを言わせる前に自分でOKといって歌い終えてしまう。しかし、ODが歌詞とメロディーから作った、ブレス位置とあらゆるニュアンスは完璧で、実際にOKだった。これは「早くてすごい」という意味ではない。そもそもODは歌い直したことがないので、テイクという概念を知らないのだ。ODにとって、録音とは、歌う前に完全な状態にして、一回だけ歌うことを意味していた。
単にピッチがジャストで歌い上げる歌唱力はいくらでもある。ODの伸びやかでキュートな唱法は、大変失礼だが、独唱性とトランスが強い小田さんよりも魅力的、、、、、というより、菊地君とユニゾンでデュエットするという楽曲上の要請を理解していた。ODの極端なマイペースと病理の数々は、音楽をやる時だけ全く消え去り、関係全員へのホスピタリティと調和に溢れ、何よりも彼女自身の喜びに満ちていた。
歌とはなんだろうか?菊地君も同感だと信じるが、ダークサイドの発露も歌である。なにせ古来より、呼気は清、吐気は毒と言われている。毒は薬に、薬は毒に。つまりリビドー。英語の慣用表現であれば、オーヴァーリビドーバグ。しかし、そんなシンプルな二元論を止揚する歌が必ずある。それは完璧な健康と、陽の気、澄んだ心と、完全な無知、そして、そうした状態が、<キュート>という状態を、ナチュールとして発生させる。昨今マスメディアやSNSの上に満ちているキュートは、全て最高の人工物で、市場価値を保つために圧殺的な共有性に満ちている。
ODの歌声が持つキュートは、あらゆる幼さや市場への順応性に立脚していなかった。キュートやコミカルを捉え直す意味で、これは奇跡に近いものがあった。ODのヴォーカル録りは最短よりも短い時間で終わった。私は、ODのOKテイク=テイク1に合わせて歌った。すると、恐るべきことに、私は、あらゆる興奮や情緒的なゆらぎを失い、歌うことに含有される、表現衝動自体が消えてなくなるのであった。
「ボスボス~。マジ卍パリピテラカッコいいじゃないスか!!3小節目の<強い>の<よい>だけ7sec、4小節目の<風が>の<か>が12sec低いじゃないスか。これは直しますか?アカクさんに直してもらいマスか?」
「どうすれば良いと思う?」
「このままが良いデス(笑)」
「了解(笑)」
こうした会話の間、ODはずっと頭の上にパンを乗せていた。
* * * * *
菊地君が岩澤瞳さんという素材を使って引き出したものは、前述の、毒と薬だ。その点では任務を完遂していた前期のスパンクハッピーは、菊地君の病理を、岩澤さんの病理が数倍化させた禍々しさによるもので、今でもそれが菊地君の本質だと思って熱狂しているカスタマーは多く、その事には一切問題ない。しかし、私は強く実感した。これは発達の問題だ。ODの歌は発達している。何より?「病み」よりだ。
言うまでもなく、一度してしまった発達は元に戻れない。発達を悔やみ、発達前に戻ることを退行というのであれば、退行はノスタルジックな演技もしくはオーヴァーリビドーバグである事が決定してしまう。ODの歌は、光の速度で、「病み」「崩れ」といった不均衡を後方に吹き飛ばし、かつキュートでコミカルで切ない。全く新しいキュートがそこにあった。
しかし、未来派的とも言えるその澄み切って芳醇で、あらゆる意味で「丁度いい」輝きを持った未来の声、それが記憶喪失の副産物だとしたら。私は震えるようなものを感じながら、最初のレコーディングを終え、ラフミックスを菊地君に送った。菊地君は
「おおー。おおー。清潔だ。完璧な清潔さだな。素晴らしい。これこそパーカーがアドリブをする際に<音は一つ残らず清潔でないといけない>という、アレだよ(笑)。あいつすげーじゃん(笑)。お前ら明日の夜なにしてる?」
「ああ、ODにパン合わせのワインと食事を振る舞う」
「2人でか?」
「いや、工場長と一緒だ」
電話口から手帳がめくられる音がして、比較的長く沈黙が続いた。そして菊地君は「俺も行く」と言った。
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