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BOSSの回想録(16)

 

<「最終スパンクハッピー」①>

 まだ「最終(FINAL)」の冠がつく前の新生スパンクハッピーは、原みどりさんのソロ活動失敗のリバウンドを取る形で始まった第一期よりも、菊地くんが事務所もメーカーもなく、焼け野原の徒手空拳で、ギャラのいらない完全なアマチュアを探してインディー(当時)から立ち上げた第二期よりも、少なくとも商業的には恵まれたデビューの形態をとる事となった。  デビューシングルに伊勢丹のタイアップがつき、<カルトユニット11年ぶりの活動再開>と言う小さなニュースは、音楽性の確認もないまま、多くの夏フェスのブッカーから招聘がかかった。そして何よりも、当時はまだTABOOレーベルはSONY傘下にあり、何せ一番大きいことには、ODを手に入れていた。

 菊地くんの言う「天才」を「探す」という事の一般的な困難さは、天才集積機、天才磁石である菊地くんのパワーが遠隔操作的に働いたか、よりにもよって私の自宅付近で吸い寄せた。

 菊地くんは、それでもアピアーは足りないと考えていた。私も同感で、これは伊勢丹に対するあらゆる意味でのネガティヴィティでない事はご理解いただけるだろうが、タイアップ商法というのは、1990年代をピークに、今や底値にある。<いや、Suchmosは、あのCMがなかったらここまでのブレイクはなかった>とする向きもいるだろうが、それはSuchmosに対する侮辱だろう。儲けたのはCM屋の方だ。それぐらいの気概が、Suchmosの音楽には漲っている。

  *   *   *   *   *

 菊地くんは幼少期からの、自分の教会であり天国であり世界である、伊勢丹のタイアップを大いに楽しんだ。特に館内音楽のチョイスは、彼にとって無慈悲で、つまりは「叶えたくない夢」の実現だったからだ。現代人には、この「叶えたくない夢」の感覚がどれぐらい分かるだろう?夢は諦めるか叶えるためにあると現代人は思っている。夢は夢想の永遠を担保する固定装置としてもあり得るのだ。止まった時間に跨って駆ける。という駆動の感覚を、現代人は失っている。妄想時に人々は停止している。

 つまり菊地くんは、直観で事を始め、永遠のファンタジーの一角を失う代わりに、事を推進するというコンサバを背負った。そして、リスク計算もコストパフォーマンス計算もない(と言うか、彼がそれを、そもそもできないことは、彼のファンの皆さんならばおわかりの筈だ。コンサルが介入したら、菊地くんは、生きる喜びを全て失う代わりに、今よりいくばくか「売れて」いたのかも知れない)まま、インスタグラムの立ち上げを我々に命じた。

 「プロダクツ無しの、配信1曲だけでフォロワー5000人までは行ってくれ(笑)。どんな実数なんだか、オレにも全然わかんないんだけど(笑)」

 「期間は?」

 「まあ、半年かな」

 「11月まで」

 「そうね、どんな実数なんだか、オレにも全然わかんないんだけど(笑)」

 「わかった。とにかくミッションは果たすよ。受任報酬も引き落とされたしな」

 「常連価格ですみませんなあ(笑)」

 「楽しめる仕事というのはなかなかなくてね(笑)。それに」

 「まあ、皆まで言うなよ。オレだってこれでスパンクハッピーと言う呪われた運動体にケ

リをつけたい。売れるのに5年かかったとしたらオレ60だぞ(笑)。ファーストアルバムのリリースから1年で、東京でオーディエンス1000人、インスタグラムのフォロワー1万人確保したい。代理店抜きでな。まあとりあえずは<夏の天才>から1年でファーストアルバム。取り敢えずここまでミッションとして良いか?最初の成功報酬はこの段階としてくれ。どんな実数なんだか、、、」

 「オレにも全然わかんないんだけど。だろ(笑)」

 「数字ってのはオモチャみたいで楽しいな。文字と一緒だ(笑)」

 今日から、もうスタイリング以外、活動には付き合わない。定時報告だけしてくれ、もし小田さんからクレームが入った場合は、そっちまで届かないように、こっちで処理する。と言って菊地くんは、いつもの、居心地の良い忙殺の状態に戻って行った。  *   



*   *   *   *


 私とODは、2人でゼロから始めることになった。我々2人のグループラインを作り、ガラケー古いPCしか持っていない菊地くんへの定時報告はODにやらせることにした。あっという間にODは我々のインスタグラムとtwitterの公式アカウントを取得し、コンテンツは私が、キャプションはODが担当となった。

 問題はODへの報酬だ。


 「OD、小田さんとの暮らしはどうだ?」

 「ミトモさんは、