<「BOSS THE NK+OD+菊地成孔」②>
伊勢丹へのプレゼンミーティングには、4人のうち菊地くんしか参加していないし、どんな様子だったかはバーでそこそこ聞いたが、それ自体はごくごく普通の企業プレゼンであって、菊地くんは内的に興奮している事は隠したまま、冷静に事を運び、伊勢丹がシーズン置きで行なっている「グローバル・グリーンキャンペーン」の、2018年5月の回のキャンペーンソングに、新生スパンクハッピーの1stシングルを採用させる事に成功した、という以上でも以下でもないので、ここでは詳述はしない。
8行だけ添えることがあるとすれば、菊地くんはまたしても、山下洋輔グループに加入したように、ムーンライダースのレコーディングに参加したように、Impuluse!レーベルと契約したように、田中康夫と謁見したように、吾妻ひでおと対談したように、蓮實重彦の受賞パーティーに行って帝国ホテルのブッフェにありついたように、相倉久人と死神の将棋を指したように、筒井康隆を自分の番組に招聘したようにして、子供の頃からの聖地である伊勢丹のキャンペーンソングを担当し、あまつさえ、期間中の館内音楽とナレーションまでする事になった。というだけだ。
* * * * *
「神々に会うというのはどんな気分かね?」
「いやあ、毎日朝晩会ってるからね」
彼は、物心がついてから一度も、神棚への拝礼を欠かした事がないと言っている。私が見た、数少ない彼の起床時は、少なくとも毎回、洗面し、口をゆすぎ、神饌としての水を替え、柏手を打って拝礼している。因みに、神具としてはどうかと思うが、水はショットグラスに入っていて、そこにはマイルス・デイヴィスの「ウォーキン」のジャケットがプリントされている。20年前に、ディスクユニオンのキャンペーン中に、レコードのオマケに貰ったものが定着したらしい。
「銚子観音の神社で、ババアのストリッパーに犯されそうになってさ、神社の神様に助けられた。小学生の時。あれガッツリやられてたらオレ今頃、閉鎖病棟かムショだ(笑)」
「だから、神々には慣れてるか?(笑)」
「いや、全く慣れないね(笑)。慣れないほうが良いよ絶対。毎日通ってるトラットリアだって、家族にだって慣れない方が良い」
伊勢丹側の要求は、要約すれば「初夏らしいもの」という、僅かそれだけだった。こうして「恋の天才」は「夏の天才」に変更され、彼はプレゼン中に、マルチタスクで歌詞をノートに書き付けていた。「粋な夜電波ネタ帳」という表紙のノートに、それは判読ギリギリの殴り書きで
<ダメだ天才だ 天才だ 夏の天才が 僕らをおいて宇宙船で飛び去ってく 僕も連れてってよ 法王とアイドルスターの 濃すぎたマンゴージュース 哲学の無駄な議論 君は僕の夏の天才>
と書かれていた。
「いやあ思いついてさ。もうこの歳になると、忘れちゃうじゃん書かないと(笑)」
「よく出来るな」
「いや、流石に喋りながらは出来ねえよ(笑)、参考音源聞かしたり、ODの写真見せたりしてる間にささっと書いちゃうの。だから、直前の喋りがおぼつかなくなるけど(笑)。
<あー、そう、、、、、ですね、、、、、初夏かあ、、、、盛夏じゃないんですよね、、、、、海とかそういうのじゃなくて、、、、、、、、そうか、グローバルグリーンだもんね、、、、じゃ、、、、、草原で行きましょうかね>とか言いながら、頭の中で整えるわけ。こっから先、君ら2人でやって(笑)」
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準備はコマ送りの様に整ってゆき、私とODは楽曲作りに入った。初ライブは、5月に行われる菊地くんのレーベル「TABOO」のレーベルフェス「GREAT HOLIDAY」で、20分のショーケースを行い、夏フェスからの複数オファーを捌き、単独ライブの準備をする。という構えになった。ビジュアルは菊地くんをディレクターとして、最初のアー写撮影がインスタグラムの準備と重なる事になった。
インスタグラムのソフト駆動はODにしか出来なかった。
「実はパン工場のインスタやってたじゃないスか」
「ウッソ(笑)」
「皆さんに止められて、一週間しかやらなかったデス(笑)」
「何の写真上げてたんだ?」
「そんなもんパンに決まってるじゃないスか~(笑)」
「まあそうだよな(笑)」
「そのうち、パン屋さんじゃなくて、パン工場のインスタグラムには意味がない、と全員が気がついたじゃないスか(笑)」
* * * * *
「夏の天才」は締め切りを伴って要請され、「ヒコーキ」は、副産物的に別途浮かんできた。レコード時代なら「シングル両A面」とされただろう。ODは航空機に乗った事が記憶になく、菊地くんが札幌に行く仕事があった時に、「菊地さん、今頃ヒコーキに乗ってるデスね。ヒコーキに乗ってみたいじゃないスか~。あれに乗れば、どこにだって行けるデスね~」と言いながら、ある日、菊地くんの事務所(我々は「秘密基地の一つ」と呼んでいた)に「ヒコーキ」のサビをワンコーラス分、仮歌まで入れて持ち込んできた。
「お前、これ、どこでどうやって作ったの?」
「ミトモさんのお家にー」
「え?なに?何だって?(笑)」
「ミトモさんデス」
「ミトモさんって呼んでんのか(笑)」
「そうデス。可愛いじゃないスか~(笑)。もちろん、オンラインで呼ぶ時があったら、みなさんと同じ様に小田さんと呼ぶデス。じゃないと、他人の皆さんは自分とミトモさんが同じ人だと思うから、ミトモさんが、ご自分のこと、ミトモさんって呼ぶ事になるじゃないスか、だからミトモさんがミトモさんを」
「もういい(笑)」
「んで、ミトモさんのお家に、デモが作れる環境があるじゃないスか。これぐらいだったらガレージバンドでやっちゃうじゃないスか。これは菊地さんが歌うとジャストなキーで書いたじゃないスか~。ってことはボスが歌ってもジャストじゃないスか」
「なんか凄いなあお前(笑)」
菊地くんはデモを何回か聞いて「うん。良い。これで。凄く」と、まるで怒っている様な表情で呟いた後、こっちも向いて「想定外でしょ?」と私に言った。私は「あらゆる事がね(笑)」と答えた。
「小田さんから連絡があったんだ」
「なんだって?」
「何にも教えてないのに、小田さんの機材を使って、一晩でデモ作ったって」
「ヤバいな(笑)」
「パン食いながら」
「更にヤバいな(笑)」
「小田さんが寝てる間に、仮歌を勝手に入れ始めて、小田さん、自分が何か歌ってると思
ってびっくりして起きたらしい」
「2度ヤバいな(笑)」
「小田さんのこと、あいつ何て呼んでるか知って」
「ミトモさんだろ(笑)」
「ヤバいよ(笑)」
「ヤバいよな(笑)聞いた事ねえよ」
ほぼ同時に完成した「夏の天才」と「ヒコーキ」は、正に共作としか呼びようがないほど、全ての部品に私とODと菊地くんの手が若干入っている。今では、誰がどこをどれぐらい書いたか、誰も覚えていないほどだ。そのうち、小田さんがちょっとでも手を入れれば、楽曲も4人4役になるだろう。菊地くんが悩んだのは二期からのセルフカバーを何曲ぐらい、何をやるかだった。彼は忙しくビートメーカーに連絡を入れ始めた。
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