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BOSSの回想録(1)

<BOSS SUMMER MEMOIRS>


 この回想録は私(BOSS THE NK)が、最終スパンクハッピーの初期活動資金を得るために、事務所社長でありレーベルオーナーでもある菊地成孔くんの有料ブログ&動画マガジン「ビュロー菊地チャンネル」の軒先を借りて執筆されたものである。


 菊地くんが伝説の「スパンクハッピー」を13年ぶりに再開する事を決定し、私に活動を一任してから、私が相棒のODを発見し(いかなODであろうと、人類を「発見する」という表現は、人類学的、社会学的なモラルに抵触するが、ここでは最も適切な表現だと判断する)、2018年のフジロックフェスティバルに出演するまでを回想録として書いたもので、連載は2019年2月18日から、同年4月16日まで継続された。


 この時期、菊地くんは小田朋美さんと映画「東京喰種S」のOST製作に着手し、一方、私とODは、来るべき最終スパンクハッピーの1stツアー「mint exorcist tour(pre-release)」の準備に追われていた。


 当時我々にはリリース曲が1曲しかなく、ODはリップシンクで振り付けがある、という、アイドルのようなパフォーミング・スタイルはおろか、彼女が育った、川崎のパン工場の工員以外には、一切のパフォーミングを見せたことはなかった。それが如何なるものだったかは、私も知らない。これを読んでご想像して頂くしかない。


 最終回が掲載された5日後にあたる4月23日から、我々の最初のツアー(「mint exorcist tour(pre-release)」)が敢行された。つまりこれは、些か長いツアー告知であり、回想録文学であり、ノンフィクションノヴェルである以前に、長めのデジタルフライヤーである。


 私は公式には文章を書いたことがない。なので私は執筆にあたり、自分の書庫に積載されている、ジュリアス・シーザーが書いた(とされる)有名な「ガリア戦記」や、ジャコモ・カサノヴァの「我が人生の記録」、「アナイス・ニンの日記」、「マルコムX自伝」(全て翻訳)等々、回想録史上の名作群を読み返し、中でも「風と光と二十の私と」という坂口安吾の非常に素晴らしい自伝には瑞々しい感銘を受けたが、私の素人執筆には何の役にも立たなかった。


 ここまでの流れにある通り、本稿は発表当初、まだまだ無名の新人だった最終スパンクハッピーを先物買いしていたカスタマー用に、有料コンテンツとして書かれたので、稿料が発生したが、好事家からの評判も良く、この度、結成から1年半でリリースしたアルバム「mint exorcist」の批評と売り上げを評価した結果、全編に加筆修正を施し、アルバムリリース以降のカスタマー用に、無料公開改稿版としてアップする運びとなった。


 総ての人生は奇跡である。人は自分の意思と関係なく泣きながら生まれ、冒険の連続を生き、溜息と共に死ぬ。この行程に於いて、人類は、国籍も年齢も性別も、運命をも超えた完璧な平等の下にある。これは、その一例に過ぎない。


 物書きとしてアマチュアである私から、読者の方に伝えたいことがあるとすれば、アルバムで全てが満足された方は、どうか読まないで頂きたい。という一言に尽きる。あらゆる神に感謝を。





 



<「菊地成孔+BOSS THE NK」①>


 初めまして。私は現在、<BOSS THE NK>と名乗っている。菊地成孔くんとは友人関係にある、と言っても通用しなかろう。すぐには。

 解離性の人格障害を起こしやすいインターネット時代だ。別人格やアルターイーゴと解釈されても、些か古風にドッペルゲンゲルと解釈されようと、同一人物のペンネームと解釈されようと、単に菊地くんが遊びで書いていると、そして、そう解釈する方々が一番多いであろうことはほぼほぼ間違いない。好きなように解釈していただきたい。事実は目の前にある一つだけだ。

 最終スパンクスも無事デビューし、初年のSS、並びに初年の暮れを無事に越したので、今から、個人的にはあまり得意ではない、合衆国娯楽映画の用語で言えば、<エピソード・マイナス1>として、私が菊地くんからの依頼を受け、ODを発見し、2018年のフジロックフェスティバルに出演するまでの経緯を、菊地くんの軒先を借りて少しづつ綴って行くことにする。ここが有料サイトであり、私の稿料は全て